日本編
・熊本到着
アメリカからのロングフライトを終えて久々の日本です。今回の目的はズバリ、両親を納得させてもう1年の休学をいただくこと。そして沖縄に戻りその手続きをすること。鹿児島空港に到着すると両親が迎えに来てくれていました。ホームシックこそしなかった、というよりする余裕もなかった1年でしたが、久々に会えると非常に安堵感。改めて家族が大好きなんだと実感し、水俣までの2時間ほどの車内の中でアメリカ横断とホームレスに関しては内緒にしながら他の経験を語り、自分の考えを述べ、ついにこの時が『それでさ、もう1年休学してまた戻りたいんだ』そして予想通りの答えが。『なんば考えよっとね!それにもう大学に復学届出したし遅かたい』と。そして僕はこう続けます『それが先に大学には連絡して変更してもらい、もう飛行機のチケットも取った...』。両親がどのような心境で言ったのかはわかりませんが『なんかそんな気はしよったよ、自分で決めなさい』家族における親の影響力とは大きいです。人は必ず何かに依存する生き物。時には恋人、時にはタバコやアルコールや薬、趣味、スマホ、そして時には親にまたは子に。知らぬ間にその依存先から莫大なエネルギーを吸われていることに気づかず。もちろん与えられてもいます。そんな家族には申し訳なさを感じながらも境界線を引いてしまいました。これ以上踏み込むとのめり込まれてしまうと感じて。今の時代、特に若者はスマホなしでいきられるでしょうか。もはや依存を超えて一部の人に洗脳・支配されている意識を持ってスマホを触っているまたはコントロールまでできている人がどれだけいるでしょうか。話が少しずれてしましましたが、『境界線』それが今の時代特に大切になってくるのではないかと感じたこの頃でした。
まぁ、ちょっとシリアスな話になりましたが実家での少ない時間を家族や親戚とめちゃくちゃ楽しく過ごしました。やはり水俣大好きです!ど田舎ですが。
・将来のビジョン?
自分もこう見えて実はいろいろと悩んだり、考えたりしてるんです。もちろんそれは就職についても。大学卒業して何の仕事に就くかというより自分は土地に恋するタイプなのでどこにいくか。そのまま沖縄?やはり地元の熊本?少し憧れの東京?はたまた海外?なんていろいろと悩んみながら地元で過ごしていた時、こんな田舎の経済の動き、そして廃れいていく現状がみえた時にある考えが思いつきました。『ここで飲食店をしよう。』これまで多くの経営者の方々に出会い飲食店の難しさ、厳しさは承知。ただ今のこの街に1番必要なものをもっともダイレクトに表現できて、感じてもらえるのは飲食店が1番なのではないかと思いました。また人生における自分自身のコストパフォーマンスを最大に引き出せるものであると感じたから。ずばりコンセプトは『とても美味しいくてオシャレだから食べに行くばい!』... ではなく『とも君に会いに行くばい!』何回も言いますが飲食店です。そしてもう1つがホステルの経営です。
・沖縄にいくさぁ〜
はいさい!なんとか両親からの承諾も得て休学手続き、そしてブルーグラスサークルの合宿に参加したり、家族のように仲の良い友達らとも会ってきました。空港まではなんとサークルの部員みんなでお出迎えに来てくれていて嬉しかったなぁ。久々にJamして、みんなも随分と成長していて最高に楽しかったです。またわざわざ連絡をくれて会いに来てくれたり、ご飯に連れていただきありがとうございました。無事に休学手続きも終わり、楽しい合宿も親友らと過ごす時間も終わり、楽器片手に帰ろうとしていた時とある人物に偶然出会います。その友人からも許可を得て紹介させていただくと羽吉光喜という方で、大学1年生の時に同じ授業を取ったのをきっかけに知り合い、なんでか昔からいろんなことに積極的に誘ってくるやつで、どんだけ俺のこと好きやねんとか思ってました。そんな彼に久々に会ったということで沖縄そばのお店に行き、この留学体験を語りお互いの近況を話し、その後も少し時間があったのでどこか行こうかとなりました。彼が最初に提案したのが『ゲームセンター』。一瞬で帰ろうかと思いました。しかしその後に自分の家で映画を観ようと、どうやら見て欲しいものがあるということで、カップルかよとか思いながら向かうことに、そこでテレビにつけたのが『God is Dead』という映画。クリスチャンの物語です。紹介に遅れましたが彼はクリスチャンです。そしてその映画を全て見終わったあとに、なんかものすごく怖くなったのを覚えています。その映画自体は怖いものではないですよ。そして、その時に1回目のクリスチャンになることを決心し、早速彼と別れた後にあった友達らには今さっきクリスチャンになったと公表してました。そしてみんなには軽くバカにされながら沖縄を去るのでした。
・クリスチャンやめる?
こんな簡単にクリスチャンになるとかやめるとか言ったら怒られそうですが、この時はまだ自分の扉を開いてなかった頃だったので温かい目でみてください笑。カナダまで出発の時間はなるべく家族と一緒に過ごします。そんなある日、もう90歳近いおばあちゃんとご飯を食べに行った時に『ばあちゃんは神様信じてる?』と質問します。その答えは『もちろん信じているし毎日感謝してる』とのこと。自分の家系も親戚誰もクリスチャンの方はいません。もちろんばあちゃんも。ただ沖縄で光喜くんが言っていた『クリスチャンしか天国にいけない』という言葉が非常に心に残っていました。それはつまり自分含め誰も、そしてもう既に亡くなった大好きなじいちゃんも天国に行けない、もしくはいないということ。そして日本人なんてほとんどクリスチャン人口いません。こんなにも神様を信じ、感謝してる人もいるのにその対象が違うだけで、それは不公平ではないのかと感じます。だったらもっとわかりやすくイエス様とやらよ目の前に現れるべきだ!なんて思い。僕はすぐに『クリスチャンやめた』となります。そしてその時にカナダの管さんがクリスチャンだったことを思い出し、いろいろと訊ねてみて、これらが納得いけばまた考え直して見てもいいだろうなんて上から目線の考えでした。そんなこんなで残りの日本での生活を優雅に過ごしました。
・カナダに再び
改めて素晴らしい仲間、そして地元に家族に感謝して中国経由のカナダへと出発します。実は福岡から東京までの飛行機で乗り遅れてしまい新たにチケットを買ったのは誰にも知られぬまま...
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