カナダ編EP1

・バンクーバーに到着、ペンティクトンへ

 まずはじめに驚いたのはバンクーバー空港の日本人の多さ!テネシーなんて日本人を見ると凄く嬉しくなるくらい滅多にいないのに、一瞬ここが本当に海外か疑うほどの多さでした。そんなことはともあれ、最初の1週間ほどは最後のホームステイでお世話になった方のお友達でバンクーバーに住んでいるフィリピン人のお家にお世話になりました。本当にいい方で厚い歓迎を受け非常に快適なバンクーバーライフを送れました。そしていよいよバスでペンティクトンへ!深夜バスなのに水分補給でエナジードリンクを飲んでしまい眠れない中、無事に到着。光栄な事に朝早くからバス停まで社長さん自らお迎えに来ていただき、その日から早速仕事へと向かいます。今までカフェで働く経験をした事なければむしろ料理関係の経験ゼロ。強いて言うなら沖縄での自炊生活で、夜に銛突きに海に行って取った魚を捌く程度。そんな奴がはじめての飲食店で何をするか...その通り!寿司を巻き始めます。

 ・Sushi Kojo

 カナダはオカナガン、ペンティクトンという小さな町のビーチまで徒歩1分のところに立地するSushi Kojoというお店とそちらの経営者の菅さんの許可を得て一言で紹介させていただきます。まず、kojoというお店について。Authenticそして新しい、異空間で居心地がいい。紳士的でカジュアル。複雑でシンプル。一言では表現できませんでした。百聞は一見に如かずということでカナダにお越しの際は是非ともペンティクトンへそしてSushi Kojoへ!

次に管さんという方について、これまで、そしれこれからもでしょう1番尊敬できる方です。ここでこれらについて語ってしまうと一気にページが文字だらけで埋まってしまうのでこれらの紐解きは徐々に行なっていきましょう。


・充実した仕事

 1番最初に感動したこと。それは温かくて美味しい賄いの昼ご飯を食べた時でした。アメリカであんな生活を送っていた僕は、久々に美味しいと思える食事をしたのが実は1番最初の感動でした。正直その当時はこんな美味しいご飯だけ食べれたら給料なんていらないと思えるくらい。いつまでもその時の気持ちは忘れたくないものですね。そしてはじめての寿司巻きやお店のスタイルを理解するのに苦戦しながらも、まだオープンしてからわずか2ヶ月ほどにもかかわらず連日大にぎわいの店内に圧倒される日々でした。そのような中でも管さんは常に全体に目を向けながら指揮している姿を見て、まずはそんな管さんにフォーカスを当てて、彼女でもそんなにじっと見つめないほど観察、そして真似してみます。また空き時間や仕込み時間を使って人生について、そしてビジネスに関していろいろとお話ししていただき、それが何よりも充実を実感し、考えさせられる至福の時間でした。そして自分なりに試行錯誤しながら毎日、効率性や作品の仕上がりなど進歩があるよう自分と戦いながら日々を過ごしていきます。また、何と言ってもKojoメンバー(従業員)が素晴らしいんです。それらはやはり管さんが作り出す環境によって仕上がっているのではありますが、こんなにも素敵なスッタフらと一緒に時間を過ごせるこが何よりも誇りです。


・夏の到来

 さぁいよいよ暑くなってきてビーチにも観光客が増えだし夏を迎えます。もちろんお店は長蛇の列をつくり半端じゃないほどの活気です。そんな中、一夏の恋も到来します。興味ないって?まぁ少々お付き合いください笑。その頃の日課は昼休みになったらギターを背負ってスケボーに乗りビーチ前の公園まで行って、近くの木陰でギターを弾いて昼寝することでした。そんなある日、いつも通り向かっている途中、移動式のかき氷屋さんがきてたんです。最初はなんにも気にならなかったですが、しばらくして、そこのかき氷を売っている女性はおそらく自分と同年代のカナディアン、そしてこんなにも若い同い年の人たちがビーチで楽しそうにはしゃいでいる中仕事しているのはもちろん、空き時間は読書をしてることに気づきます。その子は常にサングラスと帽子をしていたので素顔を見たことはありませんでしたがすごく気になりはじめます。最初、お客さんとしてかき氷を買いに行って、Kojoで働いてることを言うともちろん知ってるし大好きとのことでした。2日に1回くらいの頻度で、もはやかき氷なんて食べたくないけど買いに行きます。そんなある日の昼の時間帯、通常どおり忙しい中ある1人のお客さんが目にとまります。なんでかすごい忙しいにもかかわらずその子が頼んだオーダーは覚えていたんです。それから数日後、少し久々にかき氷屋さんに行って、もしかしてこの前お店に来たか尋ねると来たと言うんです。次の日、管さんに内緒で勝手にその子がその時頼んだオーダーを作って渡しに行きます。管さんごめんなさい。そして番号を交換してやりとりが始まりますが、結果的には彼女はバンクーバーの大学生で彼氏もいて、そして自分も日本に帰ったりアメリカに行ったりなどで自然と連絡は途絶えました。これを書いて何が言いたいかと言うと、なんかロマンチックで青春でしょ?なんてことではなく、人生におけるパートナーって顔や見た目などの容姿ではなく、言葉が100%通じるかとかでもなく、もちろんこれらはアドバンテージであって、赤い糸なんて言葉もあるように本来はあらかじめ用意されていて、それに自分の意思でもって気づき、テイクするか否なのではないかななんて感じたこの頃でした。そして日本における家族のあり方、親子関係について上記のことからいろいろと考えさせれました。カナダやアメリカの家族・親子関係って本当に素敵なんです。それも子が親を尊敬し、両親はお互いを尊敬し、愛しているからなんですかね。日本はいかがでしょう?授業参観は親が来ても知らん顔、町を一緒に歩いてたらバカにされて恥ずかしいと外出せず。それは親子だけならず夫婦関係でも。浮気、愛人、習俗。しかし、子どもが親をもしくはパートナーを尊敬することは特に日本では難しいのかもしれません。学校では周りとの同調を叩き込み、社会に出てもほとんどが、常に周りに頭を下げ実力ではなく便宜をはかることで登り上がる社会。それを目の当たりにする子ども。そのような社会環境のなかでは他人と差別化できない。むしろ差別化を差別するような嫌うような社会では尊敬されることをしたり、見つけたりすることが困難なのではないか、そんなことを思います。勘違いしてはダメですよ!世の中の父ちゃん、母ちゃんは一生懸命家族を養うために、平凡という1番維持が難しいものを保つために頑張ってるんです!子どもらよ!。今日も学校に行けてご飯がたべれて、家があることに感謝しなさい。笑。これに関してはまだ結婚も就職してない自分がいろいろと書くと怒られそうですが、あくまで個人的解釈と意見です。まぁそんなことも管さんのご家族や現地のお客さんなどを身近で見ながら感じます。


・カナダでのブルーグラス

 テネシーを離れブルーグラスと触れる機会は減るかァ〜と思っていたらなんのその。まさかここオカナガン周辺で何箇所かブルーグラスのフェスをやっていたんです。そのことを管さんに言うと嬉しそうに行っておいでと仕事を休む許可をだしていただき、念願のそして久々のフェスに参加します。しかしまたこれが本当に渋い!ロケーションが最高も最高なんです!まさにオールドタイム!ブルーグラッサーのみなさん、1度カナダのカントリーサイドでのフェスに参加して見てください!しかもそんな境地にゲストとして呼ばれたのがJeff Scroggins & Coloradoという今年も引き続き大注目のマンドリニストTristan Scrogginsが率いるバンド。正直、アメリカのどのフェスより1番雰囲気としては最高でした。珍しいアジア人で若いと言うこともあり、いろいろとチヤホヤされ、少々調子に乗っていました。そして、1番最後のブルーグラスのフェスがソレントといわれる少し離れたところで開催され、そこに参加すると今話題のギタープレイヤーのMolly Tuttleの姿が。ステージ後に1曲だけセッションを求めに行くと快くオッケーをいただきすべてをその3分間にかけます。そしてことごとく惨敗?します。1歳年上の女性ということで、最近自分がチヤホヤされてるのもあり自信があったんでしょう。もはや次元が違うプレー。周りの観客は自分に対しても賞賛していましたが、悔しさが今までで1番残るJamとなります。ただめちゃくちゃ楽しかったですよ!


・カナディアンライフ

 一夏の恋や仕事も含めて非常に充実したカナダでの生活。またここペンティクトン周辺はすごくお洒落なワイナリーが数多くある地域なんです。そんなワイナリーを巡ったり、時にはカナディアンの友達らとビーチやコンサートに行ったりキャンプしたり、そして時には母を招待してトロントに行ったり。自然も人も音楽も仕事も最高な環境で大満足な生活。そして管さんとの相談の結果、帰国を1ヶ月伸ばします。そしてさらに大学生では否、もはや一般企業でもありえないような給料をいただいていたので、最後にアメリカに渡り、前回のリベンジとして車でのアメリカ横断を計画します。

・いよいよお別れの時

 まだまだお店は忙しい中ですが、大学の休学申し込みは1年だけ。両親ももちろんそのつもりです。そんな中、自分の中では1つの葛藤が。それはもう1年休学を延期してカナダに戻ってくるか大学に帰るか。沖縄の大学に戻ってもサークルはもちろん、いろいろとやることは計画立っています。しかし、カナダでも管さんのもとでまだまだ学びたいことは山ほどあります。このことをまず始めに両親に話すと猛反対をくらいます。そりゃそうです。しばらく悩み、そのような葛藤の中で出た最初の答えが、『自分はスピリチュアルな感性があるからとりあえず日本、沖縄に戻ってその時のフィーリングで決めよう』でした。最初は納得いった感じもありましたが、どうもスッキリしません。そこでわかったのが本当の自分はまだここに残りたいんだということ。ここでの出会い、さらにはもっとKojoで働かせて頂けることが必ず人生の中にある回転寿司の大チャンスの1つであることを確信していたから。それに手を伸ばすか指をくわえて見てるだけか。そして最終的に下した判断は『もしも今、誰かの影響によって日本戻るもしくはカナダにとどまることをした時に必ずどこかのタイミングでその人に罪をなすりつけることになるであろう。ならばすべての責任を自分にかけよう。』そしてすぐにとった行動が、まず大学に電話して休学延期が可能かどうか。それが大丈夫だとわかると次に日本からカナダ行きのチケットを取ります。なんとも親泣かせです。外枠をすべてガッチリと固めた状態で日本に一時帰国し、直接面と向かって説得しようと考えました。とりあえずアメリカ横断と休学手続きのため日本に帰国するため、一時的なお別れとして管さん含めみんなとさよならします。

・スピリチュアル

 アメリカに引き続きいろいろな巡り合わせからたどり着いたKojo。そしてそもそも自分は中学時代に地元のマラソン大会で沖縄が当たって、琉球大学進学を決め、地獄の予備校時代を経験し偶然ブルーグラスに出会い、留学を決断しとすべて点と点が繋がるような人生で、これまでに一歩間違えば死んでたような経験も結構たくさんしました。これまでの人生はもちろん、今回の記事もかなりいろいろ省いたり、語れば文におこすなんて何日がかりでも無理なような考えや奇跡体験の連続。それらに関して、前に自分の母のお友達の方で占い師の方から守護霊が強いと言われていたんですね。僕はその当時、守護霊に感謝しながらスピリチュアルに生きていました。なんとなく心細さも感じながら...

琉球大学Bluegrass同好会

南の島のカントリーミュージック ー琉球大学Bluegrass同好会ー

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