アメリカ編EP1-後半-(ホームレス)
・車を買う?
冒頭でも書いた通り、広大なアメリカを完全に舐めていた僕は当初予定していたブルーグラスに浸る機会は滅多にないまま3ヶ月を過ごしていました。また、肝心な学校が休みの土日に限ってダウンタウンと住んでいるマーフリーズボロを結ぶバスが運休なんです。そこで最初に取った行動としてはヒッチハイクでした。近くの大学内でしてると割とオッケーをもらえるんです、しかし行きはいいものの帰りが問題。1度タクシーも使いましたが高すぎて話になりません。そこで次にしたのが貨物列車に飛び乗る。これはっきり言って否、言われなくても存じてますように危険極まりないです。良い子も悪い子も真似しないように。そんなことをしてると知ったガボン出身の友達のホームステイ先のお母さん(今後も登場するのでアメリカの母と呼ぶことにします)にこっぴどく叱られます。しかしそれほど行きたかったんですね、生のブルーグラスを聴きに。そして僕は決心します。『よし、車を買おう』と。そして急いでいた僕は調べることもろくにせず知らないメキシコ人のディーラーからjeepのlibertyを$3000で購入するのでした。それにあたり、沖縄に保管してたアメリカンバイクを友達に頼んで売ったり、ホームステイ予定だったのをキャンセルしてその差額分を返してもらったりなどしました。その時は可愛いjeepにホワイトハウスと名付け。更に行動範囲が広がることに喜びを抑えられません。それが、後の大波乱の元とは知る由もなく…
・ホワイトハウスの裏切り
ついに車を手にした僕はもうしょっちゅうダウンタウンに行っては夢のような時間を過ごすのでした。しかし、購入してから1ヵ月ほどでしょうか…いきなりブレーキから変な音が。ブレーキパッドの交換とのこと。近くのリペアショップに行って尋ねたたころ$1000かかると!ここで2回目の"オーマイガー"。そんな金ないぞと。そんな中さらなる悲劇が。大学内で切符を切られたんですね。たった20分ほど駐車違反のところに停めて帰ってきたら車がないんです跡形も。最初はどこかにビデオがあってドッキリのアメリカンコメディかと思い大げさに崩れ落ちるリアクションをするも誰も駆けつけて来ない...マジな顔になって大学に問いかけにいくと駐車違反のためレッカーされたと。しかも大学からかなり離れたところに。クレイジーにもほどがあるよ。自分が悪いんですがね笑。取りに行ったら厳重な柵の向こうに。罰金として$500を大学に払い、そのレッカー会社に$100と。冗談かと思い爆笑しながら肩を叩くと”F**king don't touch me!”。どうやらアメリカンジョークではなかったようです。ここらあたりから歯車が狂い始めます。まずはじめに、アパート費が払えなくなります。そこで友達の家へと引っ越すという名目で荷物を全てホワイトハウスに入れ、誰もいないのを装い夜に風呂と寝るだけにきて朝にはホテル並みのベットメイキングをして登校するという無賃滞在がはじまります。勿論ダメですよ!無賃滞在はしばらくしてバレてしまい退出させられます。ここから徐々にホームレスへと足を踏み入れます。寮を追い出されてからはホワイトハウスという名の大豪邸で寝泊まりし、3日に1度の頻度で大学のジムのシャワーでお風呂を浴びる生活です。そして友達の釣り道具を借りて川へ洗濯に…どんぶらこ、どんぶらこと冗談はさておき、川へトラウトというニジマスを釣りに行き、それが基本的に晩飯となります。そして、学校のFree Coffeeの横にあるコーヒー用の砂糖が糖分摂取の大事な供給源になります。
・冬の到来とストリート
テネシーはアメリカの割と南のテキサスの東側に位置するのですが、冬はやはり寒いです。雪も積もることもあり、いくら大豪邸のホワイトハウスともいえど寒さが以上になってきます。そんな生活をしばらくしていると、ある日の学校の帰りにアメリカの母に出会い、そんな暮らしをしていることを知って『私の家に泊まりなさい』と言ってくれ、月々お金を払って住んでいるガボンの友達も快く『一緒に住もうぜ』と言ってくれたんです涙。もう感激です。そこでお手伝いなどしながら3週間ほどお世話になりました。少しいろいろと余裕がでてきたので、ここでラストスパートをかけます。あと残り少ないアメリカ生活、あっ、そもそも金銭的関係からもアメリカ6ヵ月、カナダに移動してワーホリで5ヵ月過ごして大学に戻る予定だったんです。今頃笑。とにかく、残りの生活をブルーグラスに当てようと学校を辞め、アメリカの母らにも別れを告げ、ダウンタウンに移ります。そこでストリートパフォーマンスをしながらその日のお金を稼ぎます。ただ最初は3時間ほどやっても$5ほどしかもらえなかったんです。しかし道の反対をみるとスプーンを叩くだけのおじさんがめちゃくちゃ稼いでるんです。あるんですねやり方が!徐々にコツやら度胸などをつけながら日々日に稼げる額も高くなります。最終的には2時間で$52を叩き出します!ちなみにストリートでは主に沖縄の親友に送ってもらった三線をプレイしてました。そして1日のルーティンが夜に稼いだ金でマクドナルドに行き、1つ$1のチーズバーガーを2つ買い、1日分の水分をそこで摂取、その後Station Innというブルーグラッサーでは知らない人はいないでしょう、ブルーグラスの聖地のライブハウスに足を運ぶ毎日です。時にはゴミ箱をあさる日もありました。しかし、同じくホームレスでダウンタウンに住んでる人たちが本当にいい人たちなんです。自分が生きるのに精一杯なはずなのにPizzaを分けてくれるんです。泣けました、人間の損得を考えない心の底からのGiftを初めて感じた気がします。テネシーを去る前にPizzaを10枚買える程度のお金を彼らに寄付しましたがそんなものではイーブンにならない大切なものを受け取りました。そして最後の1ヶ月に差し掛かった時、知り合いの紹介でダウンタウンに近いフィリピン人のお家にあり得ないような価格でホームステイさせてもらいます。
・ある深夜の出来事
残りの1ヶ月をホームステイしながらもストリートは続けたまま、そんなある日いつも通りライブハウスに行っていつも終わりが深夜12時頃なんですが、その日はいつもとは違うところで車を停めていたんです。帰ろうと車に向かうと自分に向かってくる一人の男性。話をかけてきてテキサスから車で来たが財布をガススタンドに落としてしまい気付いた時にはガソリンがないと。そこでお金を求めて来たんですね。まぁお金をあげる・あげないは問題ではなかったんですが財布に入ってなかったんです。だから正直にそう伝えると向けられました銃を。ただ意外と冷静なんですね、そんな時って。これについてはあまり語りなくないですが事実は事実です。結果的には大道路を挟んでATMに向かう途中で逃げて後日の日中に車を取りに行きました。逃げ切って落ち着いた頃に足がガクガクと震えてきましたね。
・お金がない
『お金よりも大切なものがある』えぇ、もちろんたくさんあります。お金に余裕がある時はお金で買えないものが欲しくなる。お金がないときはお金が異常に欲しくなる。無い物ねだり。結果として金銭的に余裕がなかった自分は思考にも余裕がなかったわけです。なんとアメリカで車を購入してから3ヶ月の間、保険に入ることなく乗り回していたんです。アメリカで!3ヶ月も!今考えても恐ろしすぎます。もしも事故なんて起こしてたら今の人生は180度変わっていたでしょう。またその思考が違う方向にいくと窃盗や強盗などにも発展するのでしょう。金銭的余裕は精神的余裕にある程度までは比例していることをすごく実感しました。しかし逆にお金を持ちすぎてもおかしな方向にいってしまうことがありそうですよね。何事においても”バランス”というものが非常にキーになるんでしょう。精神的余裕が保てるほどの金銭的余裕を維持するだけでそれ以上のお金は持たない方がいいのかもしれないなんて将来を考えるこの頃でした。そう言う意味の募金だったら他人の役に立ちたいとか思いながらも結局は自分のためになると考えられ、惜しみなくできそうできそうですね。『募金は自分の為』いいですね笑。
・カナダの仕事探し
さぁそろそろカナダの仕事でも探そうと(どう考えても取り掛かりが遅いです笑)、ネットでいろいろと調べます。最初の方はアウトドアも好きだしカナディアンロッキーのガイドの仕事や、やはり生まれも育ちも田舎で就職に東京なども考えていたので都会のバンクーバーで職を探しアプライしますが、その際の自分の条件というのが大学に戻るので7月の終わりまでしか働けないこと。ほとんどリプライが来ません。たまにお返事をいただけるメールもカナダは夏が忙しいからその時期で帰る予定では厳しいとのこと。その時に気づきます。自分が企業を選んでいる立場ではないことに。そしてそこからは、ほぼやけくそ状態でどんな会社かも見らずにレジュメを添付したメールを送りまくります。うち8割は返信をいただけません。残り2割も不採用のご連絡です。そんな中いつも通りある企業さんからお断りのメールが来てましたが、なんでかそのメールにだけ、もう1度改めて意気込みを記した内容を送るんです。そしてそちらの社長さんからオンラインでの面接のご希望をしていただき、Face timeで面接をして3秒。合格をいただきました。この出来事はのちのクリスチャンになる編でも取り上げようと思います。そしてそれがなんとカナダ出発の2日前でした。
・カナダに向けて、ホワイトハウスとの二人三脚
仕事探しと同時進行でカナダ行きに向けていろいろと準備をしていきます。出発日は決まっていたので、車でのルート作成なり車の点検なりしていきます。ルートに関してはその当時、とりあえず仕事が決まってなかったので最悪の場合、バンクーバーでストリートをしながら昼間は直接お店にレジュメを落としにいこうと考え最終ゴール地をバンクーバーにセットし、テネシーから西にテキサスを抜け、グラウンドサークルを巡りながらカルフォルニアまで進み、そこからシアトルに向け縦断するという2週間を想定した長旅のルートでした。そして出発の約2週間前あたりから愛人のホワイトハウスが機嫌を損ね始めます。ある日の夜、いつものようにホームステイ先の家に帰ろうとして山道を走っていると何かブレーキに違和感が、徐々に空気が抜ける感触で最終的にはブレーキを踏んでいるにもかかわらずペダルは1番下へと下がりブレーキがかからないんです。夜中の山道だったので幸い事故ることなく途中で車を止めることができました。紹介が遅れましたが、僕のホワイトハウスはサイドブレーキも壊れていて使えません笑。原因としてはペーパーロック現象ではなくキャリパーやその周辺の問題だったようです。その際にお世話になったのがサウジアラビア人兄弟の経営する修理工『キャプテンG』です。最後の2週間はほぼ毎日通ってました。また自分は父が車の整備士なこともあって、キャプテンGで少しお手伝いすることもあり、すごくよくしてもらいました。そんな不具合をきっかけに次々と問題が出てきます。コントかと思うくらい、何か修理して完璧!なんて思って次の日の朝起きてエンジンをかけたらエンジンマークが点灯。これが本当にほぼ毎日なんです。時にはCO2センサーが感知したなど大したことではないこともありましたが、何かに止めれらて感じがしました。タイヤも交換時期だったのでそんなこと含めてもちろん多大な費用を消費することになりました。ずばり出発時の全財産は$1,000。これで2週間やりとりしなければなりません。もちろんガソリンやご飯などすべて含めて。
・カナダに向けてさぁ〜行くぞ
幸い出発の2日前に採用をいただいたカナダはオカナガンのペンティクトンという小さな町に向けて、みんなとテネシーにさよならをしてガンガンにブルーグラスの曲をかけながら出発します!補足ですが、今回の留学で携帯の番号はアメリカのをとりましたがネットはWi-Fiなしでは繋がらない状態で乗り過ごして来たので、今回も長旅は昔ながらにアメリカ地図のみです。なかなか渋いでしょ。いよいよ、『ありがとうナッシュビル!ありがとうみんな〜』と心の中で大声で叫び出発して3時間。メンフィスあたりのハイウェイでとまりました。急停止する少し前にアクセルに小さな違和感を感じたのを今でも覚えています。急に変な音を立ててアクセルを踏むも動かず。とりあえず車から降りて、近くにヘルプしていただけるところを探しにいくもなーんにもない!工事の作業場から赤いコーンを借りて来て車の後ろに置いて注意喚起をします。そんなことしながらキャプテンGへと電話し、レッカーが来てくれることに。4時間ほどしてレッカー車が来ます。その助手席に乗りながら淡いオレンジの夕日に包まれてハイウェイを引き返すときの切ない心情とあの光景は一生忘れることないでしょう。無事に?もとの故郷マーフリズボーロに到着し車の状態をみてもらうと最終的にはNYから来たであろうホワイトハウスのボトムが塩でやられていたようです。修理につい尋ねてみると、その金額はズバリ$1,000。そしてその期間は少なくとも1週間。崩れ落ちました。すべてが真っ白になり思考停止。久々に大泣きました。しばらく落ち込み、涙も乾ききった頃にいろいろと次の作戦を立てますが、今考えても不思議です。現在も含めてその時も1度たりとも日本に帰る。という選択肢が出てこなかったんです。そんなこんなで困っていると次の日、そのサウジアラビア兄弟の弟さんが自分にこう言ってくれます『ブラザー、お前は今までいろいろと手伝ってくれて俺はそんな真面目な日本人がつくる日本車とお前が好きだ。本来は車の買取はしてないが今回は特別に$2,000で買ってやる』この時、彼が僕の神様に見えました。$3,000で買い、修理に$1,000かかる車を$2,000で買う。こんなことがあるでしょうか。ここで3回目の”オーマイガー”と言いたくなりましたが真面目に感謝しかないです。それから急遽飛行機のチケットを取り、ちなみに1週間前でテネシーからバンクーバーまで$140。これこそ”オーマイガッシュ”ですわ。まさかそんな安いとも知らず。こんなことをしている間はアパートに移動したガボンのお友達の家に居候。急に大金を得て、しかも思いの外安かった航空券に自分でも信じられない行動を。なんと$2,500のバンジョーという楽器を購入します。ここまでくると笑えてきます笑。当の本人は大真面目ですが。
・旅立ちの時
さぁ今回こそ本当におさらばの時、荷物をまとめて空港へ。ここでもやらかします。もともと車で行く予定だったため大荷物。結構友達にあげたりしたけどなぜかバンジョーなども増えたりしたので、まさかの空港で重量オーバーもオーバー。思わず受付の人も笑うくらいにオーバーでした。そこでさぁはじまります!ともくんによるFleaではなく本当のFree Market in Nasville Airport!。日本製の薬など大量のものをその辺の通行人に適当に説明しながらあげていき最終的には大事な相方の三線まで。そうしてやっと軽くなったスーツケースを乗っけてギリギリ搭乗し、バンクーバーへと向かうのでした。
*最後に..
本来は最後に書こうと思っていましたが、この記事を書いている現在も進行中なのと、1番この気持ちが強い今回の半年間、そして忘れないためにここに記します。今回の留学では本当に両親含め多くの方々に大大大迷惑をおかけしました。今思い返してみればどれもこれも自分のわがままがいきすぎた結果です。人間とは自己中心です。本当に実感しています。この記事を読んで面白いと思っていただいたり、少し勇気付けられたりしていただけたら幸いです。今後の人生、それは自分の愛する人・子ども・そして関わる人すべてに益がまわるようなそんな人生を歩んでいきたいと思います。それもある意味で自己中心ですね。
とにかく、今回の留学に際して自分と関わって頂いたみなさまに心から感謝を申し上げます。もう2度とできない。いや、したくない経験も多々ありましたが、何を隠そう今現在、自分の23年間の人生で1度たりとも後悔がなく大満足しているのはそんな皆様のおかげだと強く感じています。この記事も日本語での投稿なのでアメリカ・カナダの友達には届かないと思いますが、心からみなさんの幸福をお祈りします。
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